写真で見る南小学校の歴史
創立100周年及び140周年記念誌より
円福寺
「円福寺を仮校舎に物井小学校開校。学区は任意なるも物井太田山梨中台中野鹿渡栗山長岡なり」
明治42年の卒業生
「私が初めて南校に入学したのは明治三十七年四月からの日露戦争の最中でした。亀崎からの同期入学の友達六人が各父兄に伴われて物井の円福寺の山門をくぐったのは春まだ浅い日の朝でした。真新しい学帽に絣の袷と小倉の袴、女児は桃割れに三尺といった晴れ着姿」 「右手に大師堂と薬師堂が並んでいます。教室は本堂を白い幕で仕切り三教室に分かれていました」 「校長以下二名の先生と児童百余名で形成していた南校でありました」   -清宮彦一様「回顧六十年より」-
大正3年の卒業生
「卒業生三三人を出す。新入生五一名 児童数二〇五名、一二坪の教室できる」
昭和16年の卒業生
「千代田国民学校」 「太平洋戦争勃発」 「米の配給制度実施」
昭和28年校舎全景
この年「テレビ放送始まる」
昭和40年の運動会
「物井二区誕生」
あすなろ山とジャンボすべり台
 みんなで歌いました…

      あすなろの歌
 あすなろあすなろ あすはなろう
 いろんな小鳥が飛んできて
 楽しい歌の巣を作る
 おおきなひのきにあすはなろう
平成14年校舎全景
平成21年校舎全景
「4月より新校舎で授業開始。エコボイド、クールチューブなどの空気循環システムや開放的な南っ子モール、教室が通常の1.3倍という余裕あるつくり等、環境や人に配慮したつくりとなっています。」