校歌について
 この校歌は,戦争中の昭和19年に四街道小学校に着任した川島茂先生が昭和22年に作詞しました。
 「子どもひとりひとりに父母がたくすいのりを,私たちが受け止めて達成しよう,そして,四校がいつまでも栄えるよういのる気持ちもこめた。
 すでに公害で富士山が見えないけれど,四校はますます栄えますように。」
と,川島先生は昭和43年の80周年記念誌に文章を寄せています。戦後間もない昭和22年,このころは富士山が四街道からしっかりと見えていたのです。
 今でも,四街道では高いところに行けば富士山が見えるようですが,冬のよく晴れた日でないとはっきり見えないそうです。
 また,歌詞に出てくる「四校」という言い方は,昔から使われていたようです。今のように「四小」とよぶようになったのは,いつからなのでしょう。歴史を垣間見ることのできる四小の校歌です。